■
バックナンバー
山と作品
その思い出と愛用した登山グッズ
梓 林太郎
山行きの思い出
十五年ほど前、中央アルプス宝剣岳で撮った一枚。
梓が本格的に登山をはじめたのは二十二、三歳から。作家デビュー前までの三十〜四十代のころが、一番登っていたという。
1970年ごろの4月、7人パーティーで北アルプスに登った。
北穂高から奧穂高へ縦走中、涸沢岳を越えたあたりで、4番目にいた私だけが、雪庇を踏み抜いて、信州側に墜落。
だが、幸いなことに、25メートルほどの所の岩棚でとまった。パーティーはロープを持っていて、それを垂らしてよこしたが、私は掴むことができなかった。25メートルのロープは、頭上で揺れているだけだった。私は胸まで雪に埋まってただじっとして一夜を過ごした。
リーダーの判断で、6人は穂高山荘で夜明けを待ち、翌朝、長いロープを垂らしてよこした。7人パーティーのうち、私だけが落ちたのである。運の悪さを私は憾んだものだが、かすり傷一つ負わなかった。
ピッケル
中央にあるピッケルはヒッコリー(樫の木)のシャフトで、今ではほとんど作られていないらしい。すべて金属のものに代わってしまったそうだ。
何本もあったピッケルだが、残っているのはこれだけ。「みんな人にやってしまった」そうだ。
77年5月末、単独で横尾山荘に泊まった。山荘では大阪からやはり単独できていた二十代の男と同部屋になった。その青年は、北アルプスは初めてだといっていた。
私の登山計画は、涸沢経由で北穂高だった。
一方、青年は、蝶から常念を経て、大天井燕へ縦走するということだった。
山荘で涸れの話をきいているうち、登山計画を変更して、常念へ一緒に登ることにした。これがそもそもの間違いで、次の日、蝶と常念の中間辺りで、濃い霧に行く手をはばまれ、登山路を見失い、稜線西側の深い谷に迷い込んでしまった。
登山路と山小屋をさがすうち、私は右足をひねり、自由を失った。
この体験を下地にして小説にしたのが「九月の渓で」である。
山中で、私と青年は別れ、たがいに単独行となるのだが、痛む足を引きずって歩くうち、何度も、「もう還れない」という思いと、「なんとしてもこの山から脱出する」という思いが交錯していた。
愛用した一品ながら「わりと新しいなあ」と梓。
残っている靴は全部で四足だが、どれも履き込んでいる。
70年ごろのことだが、何回か一緒に山をやった友人と、初めて白馬岳に向かった。大雪渓の上部で、足を押さえて苦しんでいる若い女性に出会った。雪渓を下っているうちに、捻挫したようだった。
単独かときいたところ、男性と二人で白馬岳に登るつもりだったが、小さないさかいを起こし、男性から「帰れ」といわれた。それで独りで下山していたのだという。
私と友人は、彼女に肩を貸し、白馬岳小屋まで下った。
その女性と同行者の男性は、恋人同士のようだったが、なにが原因でいさかいを起こしたのか、私たちはきくことができなかった。
私はいまでも、「白馬」「大雪渓」の文字を見るたびに、東京からきたというその女性の痛いたしい表情を思い出す。
▲Page TOP
山と作品
著者おすすめ本
梓のことば
Copyright(C)2007 AZUSA RINTARO All Right Reserved